​普通がぼんやり降り積もっている。

そもそもさぁ、「普通って何???」っていう問題から始まっちゃうわけなんだけどぉー。

​という言葉使いでやっていくと、「バカ死ね、もううんざりなんだよ!」とかいう

言葉しか出てこなくなるので・・・。

これでは何処の誰だか分からない上に、こんな事を言っているとここで何か買う人もいないし、見る人もいないし、危ない奴だと通報されるのがオチです。普通に考えればそうなります。当たり前の一般常識です、はい。

しかし、そんなことを公に言葉には出さないけれども思うこともあります。むしろそんなこと思ったこともないという人がいるのだろうかと非常に疑問です。

世界は疑問だらけです。

私は20歳の頃デザインの専門学校の夜間部に通っていまして、そこでモンドリアンの原画を先生が持ってこられてこの絵の感想を書くという授業がありました。

それまでアートというものを全く意識せず、そういえば絵とか少し上手かったかもぐらいのノリで行った為、​幾何学的な線で区切って色を付けただけの絵の感想を書けと言われても、何でこの人が評価されてるのかもわからないし、感想と言われてもさっぱり分からないので、「分かりません」と書きました。

先生から「本を読んでみれば」というようなコメントを頂いて、大雑把に絵画の歴史は理解しました。

しかし美術館などに行っても未だによくわからないというのが本当の感想です。

私的には、外で空でも眺めている方がよっぽど感動があると思うのです。しかし自分でその感動を表現してみようと思うと、これが難しいわけで​一生かけても息が止まる感じで、説明しがたい叫びみたいな詰まりぐあいです。

その後婦人服の縫製の仕事を約20年程していました。ここでも疑問と言いますか、不条理ばかりです。最低賃金の仕事に就いてしまったのが悪いのですが、朝の8時30分から夜の8時までが通常で、更に忙しい時は残業、海外の研修生が殆どですが彼女達はそれからボタン付けやら手縫いの仕事をします。

今、海外で作られた洋服の安さを見るにつけ、この服の作られた国の賃金は一体いくら何だと潜入調査してみたい気分です。

一つのデザインを大量生産すれば安くできるのかもしれません。縫製をやっていた知識から想定すると、大量というのは1型1サイズ1色で1000枚以上あれば縫製屋さんは喜びます。(日本国内ではありえない量)

しかもそんなに作ってどこで売るんだという疑問も浮上します。

大きなショッピングモールに行くにつけ何処も同じ様な店舗展開で同じ様な服ばかりが並んでいて、楽しい人もいるかもしれませんが私は全く面白くもないし、1度行けばもういいやとうんざりして帰って来ます。

多様性とよく耳にしますが、資本主義はそれとは逆の方向に向いているような感じを私は受けます。画一的、効率重視。(経済の専門知識はありません、なんとなくです。)

そんな大規模なことではなく、小さく少しだけれども自分なりに良いものというのがテーマと言いますか、そうしたものを作りたいし、その表現として写真などを撮っています。

ネットの中で溢れている写真です、誰でも簡単に撮れるし、「なんか普通」が常ですが自分でいいなというものをアップしています。

言葉も曖昧なもので例えば「リンゴ」と言っても色、形、味、様々です、説明をすればするほどリンゴから遠ざかって行って最後は何の説明だったっけ? なんてことにも成りかねません。

要するに、ご覧いただいた方それぞれの想像力に委ねるしかないわけです。

こちらも試されていますが、こちらも試していますよ。みたいなことです。

そんな常識と非常識の間のことを考える無重力空間にしていきたいと思っています。

なんか超普通かもしれませんが、ここまでご覧いただきありがとうございました。